77
監督
松村 聡
Satoshi Matsumura
プロフィール

- 投打
- 右投右打
- ニックネーム
- まつ
- アピールポイント
- 出身地
- 大阪府
- 出身校
- 住吉大和川シニア-天理高校-同志社大学
- 血液型
- B
- 趣味
- 競馬
- 好きな言葉
- 人生の優勝旗を
- 休日の過ごし方
- 家でゆっくりする
- 尊敬する人
- 両親
ヒストリー
野球を始めたころの思い出
小学1年の時、大病を患い半年入院した。ベットの上で常にボールとグラブで遊んでいたらしい。その姿を見て両親が「この子には好きなことをやらせてあげたい」と…。退院後は学校の休み時間も放課後もいつも野球をしていた。学校の成績が下がり一時は野球を辞めさせられた。それが悔しくて勉強もがんばるようになった。
小学1年の時、大病を患い半年入院した。ベットの上で常にボールとグラブで遊んでいたらしい。その姿を見て両親が「この子には好きなことをやらせてあげたい」と…。退院後は学校の休み時間も放課後もいつも野球をしていた。学校の成績が下がり一時は野球を辞めさせられた。それが悔しくて勉強もがんばるようになった。
中学・高校野球時代の思い出
中学2年まではピッチャーをしていたが、中学3年からキャッチャーになった。その理由は、1学年下にすばらしいピッチャーが入部し彼のストレートをとれるキャッチャーが私しかいなかったからだ。これが野球人生の転機となる。
高校時代は甲子園出場よりも練習や寮生活の思い出が印象深い。ラグビー部や柔道部など他クラブも全国レベルで、たくさん友達ができた。
中学2年まではピッチャーをしていたが、中学3年からキャッチャーになった。その理由は、1学年下にすばらしいピッチャーが入部し彼のストレートをとれるキャッチャーが私しかいなかったからだ。これが野球人生の転機となる。
高校時代は甲子園出場よりも練習や寮生活の思い出が印象深い。ラグビー部や柔道部など他クラブも全国レベルで、たくさん友達ができた。
大学時代の思い出
「人生の優勝旗を」
大学時代の恩師から、天狗になり勘違いしていた私に「野球を通じて人間的に成長してほしい。そして人生の優勝旗をつかんでほしい」と貴重な言葉をいただいたことが思い出だ。
「人生の優勝旗を」
大学時代の恩師から、天狗になり勘違いしていた私に「野球を通じて人間的に成長してほしい。そして人生の優勝旗をつかんでほしい」と貴重な言葉をいただいたことが思い出だ。