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投手

長谷 篤

Atsushi Hase

今シーズンの意気込み

打ちにくいボールを武器に、チームの勝利に貢献します!

ファンの皆さまへ

日本一に貢献できるようにがんばります!応援よろしくお願いします!

長谷 篤カード

プロフィール

長谷 篤サムネイル画像
投打
左投左打
ニックネーム
あつ
アピールポイント
癖のあるストレート
出身地
兵庫県
出身校
鷹匠中学校-関西学院高校‐関西学院大学
血液型
A型
趣味
海外ドラマを観ること
好きな言葉
雨の後には、虹が出る
休日の過ごし方
友人と遊ぶ
尊敬する人
山本昌(元プロ野球選手)
アルバム01
アルバム02

ヒストリー

野球をはじめたころ

野球を始めたのは6歳の時。サンタクロースからグローブをもらったことがきっかけだ。幼いころから、父に連れられ公園でキャッチボールやバッティングをして遊んだことが、野球の楽しさを知るきっかけとなった。
小学校入学後も友達と野球をして遊んでいたが、小学3年生のときに、児童館の先輩に勧められ小学校の野球部に入部した。部員が少なく弱小チームだったこともあり、サウスポーでありながら全てのポジションを経験することとなった。小学6年生になりエースとなった私は、速球を投げるもののコントロールが悪く、いつもコールドゲームで負けていた。それでも、ずっと投げさせてもらった当時の監督にはとても感謝している。
中学・高校時代

中学に入学する前、硬式のクラブチームに入部するか迷ったが、自分のプレーに自信がなく、そこまで野球に対する情熱がなかったため中学校の軟式野球部に入部した。中学ではコントロールがよくなり、3年生からエースとしてチームを引っ張った。しかし、3年連続総体1回戦負けを喫した。
小、中学校での悔しい想いから、次第に強豪校で野球をしたいという気持ちが芽生え、関学高に入学するに至った。
高校ではチームメイトのレベルが高く、お互い刺激しあいながら技術を高めていった。その結果、2度の近畿大会出場を果たすことができた。しかし、2年生の冬にバスケットボールで左指を骨折し、そこからあまり結果を出すことができなくなった。
大学時代

大学の野球部には200人ほどの部員が在籍。さらに、強豪校出身者がほとんどで、最初の1年は試合で投げることすらできなかった。しかし、当時の投手コーチであった足立光宏さん(元阪急ブレーブス)のご指導もあり球速が10キロほど速くなったことで、リーグ戦でも登板するようになった。3年生の時に肩を痛め、1年間投球することができなかったため、大学で野球を終えるつもりだった。しかし、「最後にもう一度投げている姿が見たいな」という母の言葉が心に残り、リハビリを続け、4年生の秋に再びリーグ戦で登板することができた。大学では、素晴らしい仲間と指導者に出会い人間的に大きく成長できた。
ヒストリー1-1
ヒストリー3-1
ヒストリー3-2