05
内野手
濵田 竜之祐
Ryunosuke Hamada
プロフィール
- 投打
- 右投左打
- ニックネーム
- ハマ
- アピールポイント
- バッティング
- 出身地
- 鹿児島県
- 出身校
- 谷山ジャガーズ-鹿児島実業高校‐専修大学
- 血液型
- A型
- 趣味
- 旅行・ドライブ
- 好きな言葉
- 今この瞬間
- 休日の過ごし方
- 食べ歩き・ボンズの散歩
- 尊敬する人
- 齋藤正直(専修大学監督)
ヒストリー
野球をはじめたころ
野球を始めたのは7歳のとき。サッカーをやっていたが、少年野球の監督をしていた父にやや強引に野球を始めさせられたのがきっかけだ。
サッカーやりたいなと思いながら野球をやっていたが、初めてホームランを打ったときに野球も楽しいなと思えるようになっていた。
ただ、家で素振りをしなかったり、あまり練習をせずにいると父にはよく怒られていた。
野球を始めたのは7歳のとき。サッカーをやっていたが、少年野球の監督をしていた父にやや強引に野球を始めさせられたのがきっかけだ。
サッカーやりたいなと思いながら野球をやっていたが、初めてホームランを打ったときに野球も楽しいなと思えるようになっていた。
ただ、家で素振りをしなかったり、あまり練習をせずにいると父にはよく怒られていた。
中学・高校時代
中学時代所属していたチームは決して強くはなかった。同級生も6人だけだったが、今でも仲が良くてとても良い仲間に恵まれ楽しかった。
高校時代はとにかくきつくて、下級生のころは引退していく3年生がうらやましくて仕方なかった。寮生活でコンビニさえ行けず、1年間ずっと寮と学校の往復だった。唯一帰省できる年末年始の休みが楽しみだった。甲子園には2回出場し、ベスト8進出も果たすことができた。この高校3年間で、野球人としても人間としても基本をたくさんたたき込まれたことが、後の人生に大いに役立っている。
中学時代所属していたチームは決して強くはなかった。同級生も6人だけだったが、今でも仲が良くてとても良い仲間に恵まれ楽しかった。
高校時代はとにかくきつくて、下級生のころは引退していく3年生がうらやましくて仕方なかった。寮生活でコンビニさえ行けず、1年間ずっと寮と学校の往復だった。唯一帰省できる年末年始の休みが楽しみだった。甲子園には2回出場し、ベスト8進出も果たすことができた。この高校3年間で、野球人としても人間としても基本をたくさんたたき込まれたことが、後の人生に大いに役立っている。
大学時代
大学3年の時に就任した齋藤監督との出会いが自分の野球人生の転機となった。下級生のころに2度手術をして、2年間まともに野球ができていなかった僕を、3年生の夏ごろから4番に起用してくれた。打てない時も、守備でミスした時も監督に「俺が使ってるんだから思い切ってやれ!打てなくても絶対に4番は外さないから何があっても下を向むかない前向きな姿でチームを引っ張れ!」と言われた。この時から、今まで以上に真剣に練習に取り組めるようになり、4年時に東都リーグ優勝。ベストナインに選出されたときは本当にうれしかった。
大学3年の時に就任した齋藤監督との出会いが自分の野球人生の転機となった。下級生のころに2度手術をして、2年間まともに野球ができていなかった僕を、3年生の夏ごろから4番に起用してくれた。打てない時も、守備でミスした時も監督に「俺が使ってるんだから思い切ってやれ!打てなくても絶対に4番は外さないから何があっても下を向むかない前向きな姿でチームを引っ張れ!」と言われた。この時から、今まで以上に真剣に練習に取り組めるようになり、4年時に東都リーグ優勝。ベストナインに選出されたときは本当にうれしかった。