03
内野手(新人)
田中 恵亮
Keisuke Tanaka
プロフィール

- 投打
- 右投左打
- ニックネーム
- けけ
- アピールポイント
- パンチの効いたバッティング
- 出身地
- 大阪府
- 出身校
- 八戸学院光星高校-中部学院大学
- 血液型
- O型
- 趣味
- サウナ
- 好きな言葉
- 謙虚
- 休日の過ごし方
- 温泉に行く
- 尊敬する人
- 両親
ヒストリー
野球を始めたころの思い出
最初は、ボールを追いかけるだけで楽しかった。初めは同級生が4人でスタートしたが、学校の友達を誘って9人まで増やして、同級生だけで試合ができるようになったのがとても嬉しかった。夕方になればプロ野球を見て、夏休みほぼ毎日テレビで甲子園を見てと、野球漬けの日々だった。試合にもそこそこ勝つことができ、キャプテンを務めることもできたので充実していた。
最初は、ボールを追いかけるだけで楽しかった。初めは同級生が4人でスタートしたが、学校の友達を誘って9人まで増やして、同級生だけで試合ができるようになったのがとても嬉しかった。夕方になればプロ野球を見て、夏休みほぼ毎日テレビで甲子園を見てと、野球漬けの日々だった。試合にもそこそこ勝つことができ、キャプテンを務めることもできたので充実していた。
中学・高校野球時代の思い出
中学では硬式の野球チームに入部した。中学時代は、主にセカンド、ショートを守った。小学校のころとは違い、同級生が19人いて、坊主頭にすることが義務付けられていた。平日2日と土日の厳しい練習に取り組んだ。二年生からレギュラーになり、全国大会に3度出場。最高成績が二回戦敗退と残念な結果に終わった。高校では、甲子園を目指し強豪校と言われる八戸学院光星高等学校に入学したが、3年の春、夏のどちらともコロナの影響で甲子園が中止となった。甲子園で活躍することが当時の夢でもあったため非常に悔しい思いもしたが、その悔しさが今に生かされている。
中学では硬式の野球チームに入部した。中学時代は、主にセカンド、ショートを守った。小学校のころとは違い、同級生が19人いて、坊主頭にすることが義務付けられていた。平日2日と土日の厳しい練習に取り組んだ。二年生からレギュラーになり、全国大会に3度出場。最高成績が二回戦敗退と残念な結果に終わった。高校では、甲子園を目指し強豪校と言われる八戸学院光星高等学校に入学したが、3年の春、夏のどちらともコロナの影響で甲子園が中止となった。甲子園で活躍することが当時の夢でもあったため非常に悔しい思いもしたが、その悔しさが今に生かされている。
大学時代の思い出
高校の監督の推薦で、中部学院大学に進学。3年生春のリーグ戦からレギュラーになった。レギュラーとして初めて出るリーグ戦で盗塁王になることができた。ベストナインにはあと一歩届かず、チームは優勝したものの、個人的に悔しい思いが残った。全日本大学野球選手権大会、明治神宮大会のどちらも出場することができ、甲子園ではないけど、全国の舞台で活躍するという目標を達成することができた。高校での、悔しい思いをばねに努力した成果が出た大学時代だった。
高校の監督の推薦で、中部学院大学に進学。3年生春のリーグ戦からレギュラーになった。レギュラーとして初めて出るリーグ戦で盗塁王になることができた。ベストナインにはあと一歩届かず、チームは優勝したものの、個人的に悔しい思いが残った。全日本大学野球選手権大会、明治神宮大会のどちらも出場することができ、甲子園ではないけど、全国の舞台で活躍するという目標を達成することができた。高校での、悔しい思いをばねに努力した成果が出た大学時代だった。