19
投手(副主将)
西川 大地
Daichi Nishigawa

プロフィール

- 投打
- 右投右打
- ニックネーム
- だいち
- アピールポイント
- カーブ
- 出身地
- 高知県
- 出身校
- 高知中学校-高知高校‐立命館大学
- 血液型
- A型
- 趣味
- 釣り
- 好きな言葉
- 置かれた場所で咲きなさい
- 休日の過ごし方
- 清流ラーメンのブログチェック
- 尊敬する人
- 両親、杉上諒(新薬硬式野球部OB)



ヒストリー
野球をはじめたころ
祖父が野球好きだったことと、友人が野球部に入ったこともあり、小学校3年生の時に野球を始めた。
野球部に入部して、1週間ほどで少年野球の低学年大会に出場した。その時はルールも分からず、バットにボールがかすりもしなかったので楽しいとは思わなかった。これなら釣りに行った方が楽しいのでは、と感じたくらいだ。
ボールを投げることは好きだったが、ゴロをとるのが嫌いで怖かったのを覚えている。
祖父が野球好きだったことと、友人が野球部に入ったこともあり、小学校3年生の時に野球を始めた。
野球部に入部して、1週間ほどで少年野球の低学年大会に出場した。その時はルールも分からず、バットにボールがかすりもしなかったので楽しいとは思わなかった。これなら釣りに行った方が楽しいのでは、と感じたくらいだ。
ボールを投げることは好きだったが、ゴロをとるのが嫌いで怖かったのを覚えている。
中学・高校時代
中学では高知中学校野球部に入部した。上下関係が厳しく、愛のこもった教育的指導を何度も受けた。それに加え厳しい練習。そのおかげで、中学3年生夏に全国大会で優勝することができた。
高校では冬合宿がとても厳しかったが、仲間がいたからこそ、がんばれたと思えるときが多々あった。努力の甲斐もあり、2年の春にセンバツに出場することができた。
中学では高知中学校野球部に入部した。上下関係が厳しく、愛のこもった教育的指導を何度も受けた。それに加え厳しい練習。そのおかげで、中学3年生夏に全国大会で優勝することができた。
高校では冬合宿がとても厳しかったが、仲間がいたからこそ、がんばれたと思えるときが多々あった。努力の甲斐もあり、2年の春にセンバツに出場することができた。
大学時代
立命館大学に進学し、親元を離れた。1年の秋からリーグ戦に登板し、2年の秋からは先発として登板。京都大学戦での延長21回引き分け試合で18イニング投げたのはとても記憶に残っている。寮生活を送っていたことと野球漬けの毎日で、大学生らしい日々は送れなかったが、一番楽しかったのがこの4年間だった。
立命館大学に進学し、親元を離れた。1年の秋からリーグ戦に登板し、2年の秋からは先発として登板。京都大学戦での延長21回引き分け試合で18イニング投げたのはとても記憶に残っている。寮生活を送っていたことと野球漬けの毎日で、大学生らしい日々は送れなかったが、一番楽しかったのがこの4年間だった。

