14
投手
久保 玲司
Reiji Kubo
プロフィール
- 投打
- 左投左打
- ニックネーム
- ゼロ司くん
- アピールポイント
- 忍耐力
- 出身地
- 大阪府
- 出身校
- 関西大北陽高校-近畿大学
- 血液型
- A型
- 趣味
- ゲーム
- 好きな言葉
- 勇者とは!最後までけっして…あきらめない者のことです!
- 休日の過ごし方
- レベル上げ
- 尊敬する人
- 堀井雄二・鳥山明
ヒストリー
野球をはじめたころ
6歳のとき、兄が野球をしていて付き添いで始めました。野球を始めた頃は、練習がすごく嫌いでした。毎週土日に練習があったのですが、行くのを嫌がり泣いていたことを覚えています。所属しているチームのコーチが父親だったので休むことができませんでした。しかし、試合で活躍できるようになってきて少しずつ野球が好きになってきたのを覚えています。とても負けず嫌いな性格で、試合中に連打を打たれてしまうと泣きながら投げていた記憶があります。コーチである父は打たれても僕が拗ねているような時でもいつでも優しくしてくれました。土日の練習は嫌いでしたが、おじいちゃんと平日の学校終わりに公園でする練習は楽しかったのを覚えています。
6歳のとき、兄が野球をしていて付き添いで始めました。野球を始めた頃は、練習がすごく嫌いでした。毎週土日に練習があったのですが、行くのを嫌がり泣いていたことを覚えています。所属しているチームのコーチが父親だったので休むことができませんでした。しかし、試合で活躍できるようになってきて少しずつ野球が好きになってきたのを覚えています。とても負けず嫌いな性格で、試合中に連打を打たれてしまうと泣きながら投げていた記憶があります。コーチである父は打たれても僕が拗ねているような時でもいつでも優しくしてくれました。土日の練習は嫌いでしたが、おじいちゃんと平日の学校終わりに公園でする練習は楽しかったのを覚えています。
中学・高校時代
中学では、中学校の準硬式野球部に所属していました。その中学のほうが家から近いことを理由に転校をしました。そこでの野球がとても楽しく中学で完全に野球にハマりました。中学のグラウンドで練習をするので硬い準硬式球が使えず、テニスボールやソフトボールを使用し練習したのを覚えています。高校では関大北陽に進学し、野球を続けました。休みの少なさに驚き、貴重なオフでは、毎度熱がでるというジンクスに苦しめられたのを覚えています。高校での野球はつらいことが多かったのですが、素晴らしい経験になったと思います。
中学では、中学校の準硬式野球部に所属していました。その中学のほうが家から近いことを理由に転校をしました。そこでの野球がとても楽しく中学で完全に野球にハマりました。中学のグラウンドで練習をするので硬い準硬式球が使えず、テニスボールやソフトボールを使用し練習したのを覚えています。高校では関大北陽に進学し、野球を続けました。休みの少なさに驚き、貴重なオフでは、毎度熱がでるというジンクスに苦しめられたのを覚えています。高校での野球はつらいことが多かったのですが、素晴らしい経験になったと思います。
大学時代
大学時代の思い出は、朝の練習が終わると、昼過ぎに大学キャンパスに行き、遅いときは、21時過ぎまで授業を受けるという少し変わった生活です。授業に行く途中にいろいろな誘惑があり最初は授業をサボってしまうこともありました。とてもよくないことですが、今では楽しかった思い出です。大学では、人生で初めて全国大会に出場することができました。全国を決めた試合の後、チームメイトみんなに胴上げをしてもらったことがすごく嬉しかったです。大学2年の時に肘を手術しました。その時は心が折れるようなこともありましたが、家族や仲間の支えがあり今も野球ができています。
大学時代の思い出は、朝の練習が終わると、昼過ぎに大学キャンパスに行き、遅いときは、21時過ぎまで授業を受けるという少し変わった生活です。授業に行く途中にいろいろな誘惑があり最初は授業をサボってしまうこともありました。とてもよくないことですが、今では楽しかった思い出です。大学では、人生で初めて全国大会に出場することができました。全国を決めた試合の後、チームメイトみんなに胴上げをしてもらったことがすごく嬉しかったです。大学2年の時に肘を手術しました。その時は心が折れるようなこともありましたが、家族や仲間の支えがあり今も野球ができています。